毎年、8月の第一土日は、金沢の亀の子キャンプに参加しています。老若男女、障害者も健常者も。金沢在住の人を中心に東京や各地から、年に一回、集っています。
障害者でも、介助者と一緒なら海で水遊びができます。ボランティアのつもりが、いつの頃からか家族づきあいになりました。かよい始めたのが、たしか就職したての頃からですので、十数年参加していることになります。
キャンプの写真とチラシに載せたコラムです。

記憶は曖昧である。
どこかで聞いた話なので嘘かもしれないが、人間は耳や鼻の記憶の方が正確であるらしい。数字を覚えていたり、いつどこで何をしたとかといった記憶のたぐいと比較をしてだ。
実は、亀の子キャンプに初めて参加をした年やこれまでに何回参加をしたのかを、私は覚えていない。過去の記憶が年表のように整理されていないのだ。
「あの年は○○があって楽しかったね・・・」
などと過去の出来事に関する話題が出てきても、
<どの年だったかなぁ>
と、よく覚えていないのだ。ただ、曖昧な笑顔を浮かべ、曖昧にあいづちを打っている。
耳の記憶は、はっきりしているので過去に会った人の声は、間違いなく覚えている。2、3度会ったことがあれば、視覚といえども忘れはしない。ただ、名前はほとんど知らない。正確に言うと、覚えてから忘れてしまっている。
名前を知らないからといって、他人という感覚ではなく、少々大げさに言うと長い時間を過ごした家族のような感覚でいる。家族に近い感覚を持っていながら、会った時に声をかけづらいのは困ったものだ。
「◇◇さん、お久しぶりですね」
と名前を呼んで、話しかけられないからだ。家族の名前を忘れてしまうのは、痴ほう症か記憶喪失ぐらいのもので、
「え〜と、お名前なんでしたっけ?」
とは聞けない。家族のような感覚の人に向って、まさか名前を聞くわけにはいかないからだ。私は、この何とも言えない感覚を、なさけないことに十年以上続けている。
キャンプ場につくと海や砂の香り、痛い日差しの感覚を私の身体は、はっきりと記憶している。
<ああ、また今年も亀の子キャンプにきたんだなぁ>と。鼻や耳、肌の記憶は正確だ。
いつのことだかは判然とはしないが、強い日差しや大雨に見舞われた時の記憶がよみがえる。夕暮れ時になると、伝説に残るさまざまな催しものや花火大会、夜ふかしして語り合ったことなどを想い出す。妙なもので、会話の中身やその時々の情景を鮮明に覚えていたりする。
今年も亀の子キャンプの夏がやってきた。
「ちぐささん、お久しぶりですね」
と声をかけられると、どぎまぎする。
